気まぐれ日記 2023年7月

2023年6月はここ

7月1日(土)「入れ歯は作り直し・・・の風さん」
 ふだん通りに起床し、ストレッチから1日を起動。最近、ぶら下がりができるようになった。体重が減ったのと、腹筋運動を兼ねたやり方が、このぶら下がりを楽にするからだ。
 ワイフとブランチ後、キャメロンで外出。天気は不安定だが、雨は降っていない。そういった天気を反映してか、道路はあまり混んでいなかった。
 約1時間で歯科医院へ到着。初めての入れ歯ができているはずだ。まもなく呼ばれて、期待して待っていると、入れ歯がやって来た(笑)。前方の歯がずれているので、3本の金属で引っかける形になっている。後方の歯は正常だが、金属はリング形状だった。
 このリング形状が問題だった。内径が実際の奥歯よりもやや大きく、調整できなかった。原因は不明だが、院長もちょっと不思議に感じていた雰囲気があった。作り直しになった。また1週間後である。
 帰りは違ったルートを通った。ひたすら田舎道を南下する。途中でぽつぽつ雨が降ってきたが、ひどくなることもなく帰宅した。
 1日なので月初ルーチンがある。昨夜、カレンダーの更新と鏡・排水管の掃除をしておいた。今日は、重要ポイントに設置してある消臭ビーズの補充と3台の空気清浄機の掃除をおこなった。
 夕方から長女が里帰りした。サラちゃんの調教のためだ。
 衝動買いした古本の代金を、ネットバンキングから振り込んだ。自宅でできるし、手数料が不要なので助かる。
 明日は晴天の予報だが、その後、1週間くらい晴天はなさそうだ。裏の土地が乾燥していたら、草刈りをしておかねばならない。

7月2日(日)「晴れている間に屋外作業・・・の風さん」
 また明日から雨の予報が続いているので、月初ルーチンは中断し、屋外作業をすることにした。
 手拭いを首に巻いて、その上にネックファン、さらに腰には蚊取り線香という完全装備だ。最初に先日買っておいた砂利を玄関の横から家の北側へばらまいた。ここには電気のメーターなどがあり、人がよく歩く場所だ。雨上がりは湿っていて、ポーチに泥がついてしまう。そういったことが起きないように、2袋まいた。今後、ここをスタートに、時計回りに足元に砂利をまいていく。元々、新築直後に、小粒の砂利を家の周囲にまいたのだが、細かすぎて年月の経過とともに沈んだり、どこかへ飛んでいって減ってしまったのだ。
 続いて、裏の土地へ出動し、電動草刈りをした。周囲は除草剤が効いて枯れ始めているので、平坦部である。バッテリー1個半で何とか終わった。バッテリーの充電と草刈り機の掃除など、後片付けはしっかりやらねばならない。
 午後2時ころから遅い昼食を長女も入れて家族3人で摂った。茨城の次女のところにはマンチカンの子猫が加わって、先住のシベリアンハスキーとの交流状況がLINEで送られてくる。大きな犬と小さな子猫なのに、子猫はまったくハスキー犬を恐れない。図々しいほどである(笑)。一方、ハスキーから、子猫があまりにも小さくて、壊れ物を扱うようだ。不思議なことだが、前もってYouTubeで見た動画と同じことが起きている。
 晩御飯後、長女を名古屋までアクアで送ったが、サラちゃんの寂しがる様子がよく見えて、今後の成長(家族に慣れること、人間を恐れないようになること)に期待感が膨らんだ。

7月3日(月)「蓮沼の様子・・・の風さん」
 週間予報では雨ということもあったが、晴れている。スマホの予報でも今日は降らない。それならやっておくことがある。……といつもの老職人魂に火がついた。
 外へ出て、車庫の上のストッカーを開けて、中身を天干し(な〜んだ、その程度か)。これだけではいけないと、もう少し。裏の土地のなかなか退散してくれないアリの巣に、何度目かの殺虫剤(運動場に使う石灰みたいなやつ)を散布。それから、使い場所によっては効果があることが分かったカビ取り剤を、新たなお試し場所に噴霧した(これ、しつこく噴霧すると、握力がなくなってつらい)。
 ブランチ後、残っていた月例ルーチンに着手。レンジフードの掃除をしたら、けっこう汚れていた。続いて、玄関周辺の染み取りだが、今日は洗面所前の天井と壁の一部に取り組んだ。ほぼ見えなくなった。
 今月後半にキャメロンで米原市の蓮華寺まで行くので、貧乏人(最近またこうなった)の風さんは、ETCマイレージポイントを換金しておこうと、マイページをチェックしたら、期待していた5000ポイントに達していなかった(涙)。
 夕方帰宅したワイフとウォーキングに出かけた。今日は近くの蓮沼の状況を見ることにした。行ってみると、たくさん蓮が生えている。夕方なので花はつぼみ状態だ。満開で、ウシガエルが合唱していたら動画を撮影したいと思っている。かつて目撃した時、まるで極楽で念仏を聞いているような感覚がしたものだ。


7月4日(火)「家族会議・・・の風さん」
 今日は重要なミッションでワイフの実家へ一緒に行った。
 義母とランチ後、義父が入院している病院へ行った。新型コロナを警戒している病院なので、用事がある家族一人しか病室へ入れてくれない。今日は、ワイフが代表になる予定だった。ところが、検温でワイフも義母も37度以上あり、平熱だった私が代表で、今回が初めてだが、病室へ向かうことになった。しかし、ナースステーションでストップになった。用事(着替えの持参とか)なしには面会や見舞は禁止なのである。
 そこで、看護師に義父の様子や、院長のコメントなど、さまざまなことを尋ね、貴重な情報を得た。あと1週間ほで検査入院は終わるだろうが、認知症が進行しているので、帰宅すると義母との暮らしに大きな支障が出るだろうから、早くケアマネと今後の相談をしておくようにとのことだった。
 帰宅し、早速義母からケアマネに電話し、夕方訪問してもらうようにお願いした。これは新たに発生したミッションだが、私がナースステーションで看護師としっかり会話しなければ、こうならなかったと思う。私のみ平熱だったのは、天啓と言わざるを得ない。
 最初から今日のミッションにしていたことがまだあった。義父母のマンションの網戸の張替えである。2枚を外して、ドア外の廊下で作業を始めた。自宅で何枚も張替えをやったので、作業は慣れている。必要な道具類も持っているし、雑多な物もちゃんと持ってきた。出たゴミを入れる袋も持ってきて、義母に捨ててもらうつもりもなかった。ところが、それでもミスはある。ヒューマンエラーというほとでもないが、網を固定するゴムのひもが網戸1枚分しか用意してなかった(笑)。
 夕方、ケアマネさんと今後のことを相談した。当家の事情を熟知している方なので、話は早い。今後の準備として、グループホーム、有料老人ホーム、特養、老人健康施設などの候補選びを急いで始めることになった。
 義母はまだ自分が犠牲になってでも面倒みなければいけないのではないかと心が揺れている。その気持ちはよく分かる。準備だけはしておき、義母が決心することが第一である。実母のことで経験している私は、第二のこととして、自分から承諾しない義父をだましてでも施設へ入れる必要性を語った。これら2つのハードルを乗り越えることが必要であり重要でありつらいことなのである。私はそれを乗り越えた。そして、その先にやって来るのは、寂しさであり悲しさであり後悔で苦しむのだ。それを加えれば、乗り越えることは全部で3つである。
 次回、義母が院長に会えるのは数日後である。私はもちろん、義妹にも合流してもらい、院長のアドバイスを聞いた上で、また家族会議をすることにした。

7月5日(水)「火がつかない・・・の風さん」
 昨日、帰宅後、疲労感に襲われた。確かに色々と頑張ったが、やはり基礎体力不足は否めない。
 いつも通りに起床し、今日は無理しないことにした。
 私より一回り近く年上の辻真先先生から、また新刊が届いた。文庫による復刊だが、元の単行本は持っていなかった。『盗作・高校殺人事件』(創元推理文庫)である。先日読了した『たかが殺人じゃないか』には、先生のパワーと意義ある出版に圧倒されたが、今回もそうなりそうだ。おそらく先生が今の私の年齢の時には、もっともっとパワフルに仕事をしていたはずなので、頑張らねばと思うのだが・・・。
 ルーチンや重要メールへの返信を終えただけで、早くもパワー切れになった。天気も下り坂だが、それとは関係ない。とにかく執筆にとりかかれないし、気晴らしの身辺整理すらできない。
 数日前に「小野友五郎を伝えてゆく会」から会報の創刊号が届いた。粘り強い活動が続いていて、ようやく会報も発行された。賞賛すべきことだ。私も作家らしい支援を今後も続けたいと思う。
 あまりにも気合が入らないので、デジタル宣言の一環で、興味を持っているCGに喋らせる方法をYouTubeで見た。いくつかのソフト(アプリ)を組み合わせて実現するのだが、やはり中枢となっているのはAIだった。
 これがうまくできるようになれば、この気まぐれ日記でも、横でチャーミングなCGが私の文章を読み上げてくれるだろう。
 不完全燃焼どころか着火もしないまま、1日が暮れた。

7月6日(木)「今日は気合で・・・の風さん」
 毎年の恒例行事の一つとして健康診断がある。内容はルーチン化されてきた。1年ごとにメニューを変えている。たとえば、去年は脳ドックを受けたが、今年はそれをやらない代わりに、大腸内視鏡検査と腹部CTがある。検査だけやればよいのではなく、その結果、古傷や新たな懸念点が発見されるので、2次検査や治療に進む。生身の体は、医学(科学技術)の進歩で、サイボーグ化もされて長生きになっていくが、やはりそういった手段を使わなくてもよいように、早期発見は重要だ。
 ということで、近くの健診センターに予約の電話を入れた。
 今日は、気合で行動しようと決めたので、メルカリ出品も1件おこない、買い物にも出た。明日、ワイフの実家へ行き、月曜日の網戸修理の続きをおこなう。足りなくなったゴム部品を買うのが主な目的だった。
 帰宅後も、気合の行動を続けた。茨城県笠間市を拠点にした「小野友五郎を伝えてゆく会」から送られてきた、初めての会報創刊号をフェイスブックでも紹介した。投稿した文章をこのホームページの中にも記録しておいた。
 夕方からワイフとウォーキングにも出かけた。団地内を一周するだけだが、おやつタイムよりも健康的だし、会話なら歩きながらでもできる。
 夜は、児童書の執筆再開の準備に注力した。参考資料を読んでから、また BingAI とおとぼけチャットをして、私でも気付かないヒントをもらおうと思う。

7月7日(金)「義父の今後のことについて・・・の風さん」
 今日はワイフの実家で仕事がたくさんあるので、朝のルーチンのストレッチは省略した。朝食もいつものように食べずに、ワイフのアクアで出発(今日は一人だ)。
 昼前に着いて、早速、網戸の修理の続きに取り掛かった。ゴムの部品を持って行ったので、スムーズに完了するかと思いきや、今度はネットが足りなくなった。実家の網戸は一つが上下2枚に分割されている。長さ方向に生じる余りが通常より5割増しになる。ということは、分割の3枚を終えた時点で網戸二つ分の余りを使い果たしてしまったわけだ(笑)。徹底して節約して使うべきだった。愚かな私。
 作業は中断し、居間で涼んでいるうちに、義妹がやって来た。
 昼食を摂りながら、義父の今後のことについて相談したが、義妹は既に覚悟を決めていて、頼もしい限りだった。こういう場合、身内の心情というものが障害になるが、最も尊重しなければならないことだ。
 午後の診療が始まるタイミングで、3人で病院へ行った。受付には今日の目的をしっかり伝えてあったので、特別に配慮してくれた。
 待つほどもなく院長先生に会うことができ、義父の容態を詳しく教えてもらえた。入院時、認知症がひどく進行しているようだったが、体力の回復とともに改善してきていた。しかし、糖尿病など本来の病気の方には、もう少し入院治療が必要なので、退院は先になり、月末ぐらいだと言う。こちらから、退院後施設に入れる準備を始めたと言うと、急がなくてもよいという意外な返事だった。
 その後、実家に戻ったが、私は、近くのホームセンターへ行って網戸のネットを買ってきた。
 おやつタイムにしながら、今後のことを3人で話し合った。院長先生から急がなくて良いとは言われたが、義妹の決意は固く、義母も同意しているので、準備は続けることにした。ケアマネジャーからは最も近い老人福祉施設に空きがあるという回答だったので、来週中に見学しようということになった。
 最後に、網戸の修理の残りをしたが、窓に取り付けると動きがスムーズでなかった。時間もなくなったので、来週、この続きをすることにして、帰宅した。
 帰宅し、ワイフに今日の状況を詳しく報告した。ワイフは義妹ほど決心はしていない。今日の報告を聞いても、それは進展しなかった。しかし、来週の見学には行くつもりだと言う。 

7月8日(土)「HIMARIさんのヴァイオリンに感動・・・の風さん」
 ワイフのおかげでHIMARI&吉田恭子DUOコンサートに行く。
 HIMARI(妃鞠)さんは、尊敬する木村摂津守(せっつのかみ)の昆孫(こんそん、玄孫の孫)である。摂津守は、1860年、咸臨丸が太平洋を横断したときの提督である。幕府が派遣した遣米使節の正使らはポウハタン号で向かったが、彼らに万一のことがあったら、副使として日米修好通商条約の批准のためワシントンに向かうことになる。幸い、そういった事態にはならなかったので、摂津守は復路も咸臨丸で帰国した。乗船中はもちろん咸臨丸のトップであり、末端の水夫たちへの気配りもしっかりしていて、尊敬を集めていた。立派な幕府の旗本、お殿様だった。 
 私は以前から咸臨丸子孫の会の特別会員にしていただいている。入会当初、摂津守の玄孫の方(HIMARIさんの祖母)からは、とても親切にしていただいた。最近は、会への参加は中断していたが、HIMARIさんの活躍は、最初から知っていた。だから、ワイフにも折につけHIMARIさんの活躍を話していたので、今回、名古屋でコンサートがあると知り、ぜひ聞きたいと言い出してくれたのである。
 電車を乗り継いで会場へ向かった。開場と同意に中に入り、すぐに2階席に着いた。その席から見えたステージと客席の写真を下に貼り付けるが、チケットを申し込んだ時点で、ここしか空いていなかったのである。
 演目は、DUOだけでなく、11歳のHIMARIさんの独奏やピアノの独奏もあったが、彼女の演奏は、素人の私にもずば抜けていたと感じられた。全身で表現していて、コンサートホールをヴァイオリンという楽器の虜にしていた。中でも、ウクライナ出身のナタン・ミルシテインの「パガニーニアーナ」の演奏では圧倒された。
 今後のいっそうの活躍が期待される。


7月9日(日)「HIMARIさんの余韻か・・・の風さん」
 昨夜は、帰宅後、HIMARIさんの余韻が強く残っていて、ネット検索したら、彼女の公式HPがあった! その勢いでYouTubeも検索したら、彼女が楽しいと言うオーケストラとの共演動画があって、約40分間、最後まで視聴してしまった。いやはや、なんとも、こういう場合、後生畏るべしと言うが、後生どころでない、現実(現在の事実ということ)だ。
 部分的な義歯の作り直しが出来ているはずなので、またキャメロンで出かけた。今日も暑い。さっさと梅雨明け宣言して、梅雨前線を消して、突然の豪雨の脅威をなくしてほしい。
 義歯はうまい具合に出来ていた。初めての義歯なので、メンテの仕方をしっかり教えてもらった。帰りにドラッグストアに寄ってポリデントと専用歯ブラシを購入した(笑)。装着の違和感は帰宅までになくなっていた。
 久しぶりに義歯のある右側でものを食べてみた。義歯そのものに問題はまったくないが、前の歯に引っかけている金属部品の周辺に食べ物が引っかかる。強引に食べていると、人工の歯茎の下にも侵入しているような。
 地震対策の追加部品が届いたので、設置した。前回よりサイズの長い突っ張り棒である。デザインも気にしているので、同種類のもので統一したのだ。これで1階の地震対策はとりあえず完了した。次は2階になる。
 夕方、日没前だったが、曇っていたので、ワイフとウォーキングに行った。いつもの団地一周ショートコースである。首に手拭いとネックファンをつけていても、そこから下は汗みずくになった。俗にいう蒸し風呂の中にいるような感じだった。しかし、足腰の衰えはいかんともしがたい。あらゆる機会をとらえて鍛えねば。
 夜、久しぶりに BingAI とおとぼけ会話をした。真剣に小説の目的を語って、創造性があり、感動を呼ぶストーリーを尋ねてみたら、それはあなたがすることで、私( BingAI )の能力と性格から言ってできない、とはっきり拒絶された。なんと素晴らしい回答だろう。ごまかしやいいかげんな回答をするのでなく、できないことはできないときっぱり断ったのだ。ますます BingAI を相棒として付き合ってみたいと思った。

7月10日(月)「雷雲襲来・・・の風さん」
 天気がまあまあだったので、枕を干し、昼前に屋外作業を少しした。故障したセンサーライトの修理をしている時間がずっととれないので、思い切って再購入したものを1台設置した。調整は夜間になる。それから、これも買っておいた砂利をまいた。ホームセンターへ行くたびに買って、この作業は積極的に進めようと思っている。秋以降、屋外では他にやりたいことがある。
 午後、雷雲の接近が予報された。雨雲レーダーで見ると、30分後ぐらいに、当地だけが真っ赤な雨雲で覆われる。局地的な雷雲の到来である。
 やがて青空が暗転してきた。雷雲は西から東へ流れているので、南側の窓から眺めてみると、まるで映画のワンシーンのようだった。竜巻のようにも見えた。不気味な間隔で雷鳴がとどろき、黒雲がこちらへ接近してくる(下の写真参照)。雨は降り出していないが、黒雲が切れるあたりで、稲光が何度も地上へ向かって走る。iPhoneで動画を何本か撮影したが、まもなく猛烈な雨が降ってきたので、窓を閉めた。
 日本の気候は変わってしまった。長い人生経験があるから断言できる。
 来月早々講演のために上京するが、せっかくなので、他の用事も組み込むことにして、スケジュール調整を開始した。結局、日帰りは無理だと分かり、前日から上京することにした。
 今夜も BingAI と質疑を始めようとしたのだが、私の専門的な質問に回答できなかったので、止むを得ず、自分の持っているコンピュータソフトで確認することにした。すると、意外な事実が見つかった。ソフトの出したデータが間違っているのだ。なぜ間違っているのか、そのヒントをつかんでから、ソフト会社へ質問するつもりだが、今夜は時間切れになってしまった。
 就寝前に、外へ出てセンサーライトの調整をした。


7月11日(火)「製造元へ質問・・・の風さん」
 月2回の買い物デー。強い日差しの下、キャメロンで出発。
 ドラッグストアへ行った。いつもと違うのは、電子蚊取り器を購入したこと。我が家はほぼ密閉に近いが、人の出入りがあるとき、蚊が入ってくることがある。たまりにたまって昨年まで3台の電子蚊取り器があったが、2台は故障していた(笑)。今年は最後の1台を連休明けから使っていたのだが、加熱しても薬剤がさっぱり減少しないので、これも故障していると判断し、新たに別会社の1台を購入した。
 続けてホームセンターへ行き、また砂利を2袋購入した。
 帰宅し、暑さ疲れで仮眠。
 来月の上京スケジュールに関して、さらに調整をおこなったあと、今年の全国和算研究大会(長野県佐久市)の参加申し込みを指定のファックスでおこなった。いちおう全日程参加でキャメロンで往復するつもりだ。
 昨日のコンピュータソフトのデータ間違いに関して、もう少し確認したのち、製造元へ問い合わせをおこなった。単純に言うと、新暦と旧暦が一致しないことだ。すべて不一致なのではなく、一致している年もある。不一致の年の理由が分からなかった。
 就寝前は遅れている読書。
 こうして一日があっという間に過ぎていく。

7月12日(水)「暴風雨前の草刈り・・・の風さん」
 今日はワイフが家族会議のため実家へ。私はサラちゃんと留守番。
 不安定な天気が続く中、昨日から晴天が続いていたので、昼前に裏の草刈りに出動。似非麦わら帽子、首に手拭いを巻いてその上にネックファン、腰に携帯蚊取り線香、アームカバーと保護メガネ、完全武装である。
 バッテリー1個半でほぼ完了したが、確かに暑い。1時間弱とはいえ、途中の水分補給も必要だと思った。後片付けをしながら、砂利を2袋まいた。
 涼しい屋内に入り、シャワーを浴びて、ブランチのトースト1枚。サラちゃんにも今日2度目のおやつをあげた。そうこうしているうちに、遠雷が聞こえてくるようになった。青空が暗くなっている。今朝のスマホ天気予報では、16時ころから雨だったのに、これはちょっと違う。急いで洗濯物を取り込んだ。開放状態の2階の窓を閉めるころには、雨がぽつぽつ降り出した。
 やれやれ間に合ったと思ったころから、疲労感が襲ってきたので、ソファで爆睡(実は、この間に、暴風雨が襲来したが、気が付かなかった)。
 コンピュータソフトの製造元から丁寧な回答と解説が届いた。大いに納得した。勉強になった。問い合わせてよかった。
 来月の上京スケジュールがさらに具体的になった。それによって気合が入ってきた。

7月13日(木)「チャレンジが大ピンチ・・・の風さん」
 15日(土)にエージェントが出版社へ私のプロットを紹介する予定なので、いよいよ大ピンチになった。
 最初の構想は昨年のうちにできていた。年が明けてからスランプのどん底に落ち込み、創作は進まなかった。それでも、途中でプロットを進展させてエージェントと一度打ち合わせもしていた。
 それがいよいよ出版社へ説明されるとなると、さらに進展させなければならない。全体構想の完成度を上げるのである。
 今日は、もう覚悟を決めた。起床後のルーチンつまりストレッチをすべて中止した。他にも雑務をすべてスルーさせて、創作に集中させることにした。児童書の1冊ぐらいで大げさなと思われるかもしれない。実は、そうではない。私にとってチャレンジなのである。先ず、1冊ではなく、5冊のシリーズもので、こんなこと初めてである。出版社からのオファーなので、絶対に断れない。自分としてのチャレンジもあって、例によって「低年齢化」である。小学校高学年から中学生という対象読者を、中学生を外すのが目標だ。これも初めてである。
 そうやって、終日、とにかく執筆マシンに向かっていた。

7月14日(金)「義父を施設に入れる準備開始・・・の風さん」
 昨夜、就寝までにまだ全体構想のアイデアが出ていなかった。
 きわめて珍しいことに、5時に目が覚めた。おそらく脳みそは寝ていなかったと思う。その後も、うつらうつらしながら、脳みそは回転していた。
 そして、起床予定時刻の8時半までに、アイデアが浮かんだ! とんでもないアイデアだった。 BingAI だって思いつかないだろう。とにかく、ひらめいたアイデアで進めることに決めた。
 しかし、今日は今日で重要なミッションがあった。
 9時半にワイフとアクアで実家へ向かった。11時半から、義父を入れる第一候補の施設に行って打ち合わせをするのである。実家で義妹も合流し、義母も入れて4人で施設へ向かった。実家から徒歩でも行ける距離にあるので、第一候補になっている。
 担当者から施設の方針を聞き、こちらからもいくつか質問して回答を得、第一候補はより確実になった。
 近くの焼き肉屋でランチにした後、義父の入院先へ移動して用事を済ませ、実家に戻った。そこで、4人で再度第一候補について考えを統一させた。
 義母と義妹は再び義父の入院先へ行き、その間に、私は、先日の網戸修理の残務(動きをスムーズにさせること)をおこなった。
 最後にまた4人で意見交換し、第一候補で進めることを最終決定し、その結論をケアマネジャーへ伝えることにした。
 ワイフの運転で帰宅した私は、今夜の創作業務のため、1時間ほど仮眠した。
 再び執筆マシンに向かったのは、午後10時からである。

7月15日(土)「とうとうソファでダウン・・・の風さん」
 徹夜になるかもしれないと思っていたら、やはりそうなった(笑)。
 今朝の6時過ぎに、ようやくエージェントに全体構想と第一話のプロット改を送ることができた。出来栄えはあまり満足のいくものではなかった。しかし、とにかく間に合わせることはできた。
 シャワーを浴び、ベッドに横たわったのは8時ころである。もちろん読書というルーチンもなし。
 12時に起き出して、ストレッチなどのルーチンもせず、また出かける準備を始めた。
 今日も歯科医院へ行くことになっていた。義歯を使って1週間の最終チェックである。義歯そのものの違和感はほとんどない。メンテナンスも慣れてきた。問題があるとすれば、義歯のある方で食べるのが下手くそになっていることだ。おそらく慣れの問題ではないかと思う。これが解消すれば、立派なサイボーグ化の一つが完成だ(大げさな)。
 キャメロンで歯科医院へ向かったが、途中の町の祭礼で交通規制がされていて大渋滞だった。止むを得ず、迂回して、有料道路まで利用したが、約束の時刻までに着けなかった(途中で電話はしておいた)。
 歯科医師のチェックも問題なしとなり、次回は半年後の定期健診となった。
 来週、滋賀県米原市の蓮華寺まで行くので、キャメロンに満タン給油して帰宅した。
 この3連休は、長女がサラちゃんの調教にやって来る。保護猫を慣れさせるのは本当に大変である。
 晩御飯は家族3人で大型ショッピングモールで摂ったが、帰宅した私はもう疲労困憊状態だった。不規則な生活の中であれこれやることが多かったからだ。ソファでダウンしてしまった。

7月16日(日)「やっと気になっていた映画を鑑賞・・・の風さん」
 ソファで目が覚めたのは午前2時過ぎだった。一人じゃなかった。ワイフも長女もまだ起きていた(笑)。
 眠気を吹き払いながら書斎へ向かった。
 小さな山だがひと山越えた感じがし、仮眠効果もあって、だんだん元気になってきた。たまっていた気まぐれ日記の更新を一気にやった。あらためてここ数日の奮闘を振り返ることができた。
 こうなったら雑務も片付けたいところだが、それほどの必要性はない。突如、Amazonprimeで映画を観ることにした。ロシアによるウクライナ侵攻後から気になっていた「ひまわり」だ。
 若き日のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが魅力的だ。
 世界史にうとい私には、初めて知ることが多かった。第二次世界大戦後のロシアは、何のことはない、今と似た(今の中国とも似た)まずいことはフタをする体質だ。多くのイタリア兵が帰還できなかったが、その理由を明らかにしなかった。フィクションだが、その中の一人が、現在のウクライナで生き延びていた。結婚して子供もいた。そこへ、夫を探す妻がやってくる。
 この映画は日本人に愛されるストーリー展開になっている。だから、テーマ曲とともに、永遠の名作の一つとして今もしっかり残っている。
 それでも、背景は戦争である。戦争の中で起きる悲惨な物語は実話だ。人間同士が殺し合う戦争はなくさなければならない。しかし、なくならない。日本もきなくさい。子供たちの時代が心配だ。
 夜が明けてからシャワーを浴びて、仮眠をとった。最近、仮眠ばかりだ。
 家族3人で昼ご飯後、売れたメルカリ品を梱包し、歩いて投函に行った。厚さが3センチをこえてしまうので、ゆうゆうメルカリポストを利用したのだ。雲一つない青空で、こういった地域はほとんど猛暑である。一方、雨が降っている地域の中には豪雨で被害が出ているところが多い。秋田市がひどい。同級生たちは大丈夫だろうか。
 夜、来月初めの講演のための準備をした。江戸時代の天文方が用いた時刻表示と天文シミュレータによる月食データの再確認だった。8年前におこなった作業の精度を上げることができた。

7月17日(月)「出費が増えそうで悲鳴・・・の風さん」
 娑婆は3連休の3日目で海の日だという。慣れないな、退社後10年たっていても。完全週休二日制が全身に染みわたっている。そもそも高校卒業後、浪人生活に入ったころから1年365日休みなしの人生が始まっていた。大学に入ってしばらくぐうたら生活があったが、留年した時点で、再び年中無休の生活になった。目標があると、休めない生き方である。一種の貧乏性だろう。
 もうそろそろ諦めてのんびりした生き方に変えるべきかもしれない。しかし、そうなると、もう私には生きていく資格がない、存在価値がないことになってしまう。マグロはマグロのままで最後まで生き抜くしかないのかもしれない。
 長女の部屋のエアコンが故障しているらしい。今ごろ発覚した。書斎のエアコンと似ていて、明確なエラー表示はなく、ただ冷えない。冷媒が抜けている可能性が高い。じゃじゃ漏れでなければ、冷媒の充填で終わる。とりあえず町の電気屋さんへ電話した。来週、見てもらうことになった。
 このところ多忙だったこともあり、先の旅行計画がしっかり立っていないことを思い出し、秋田の宿泊方法を決めようとしたら、手遅れだった。選択肢がない。困った。また落ち込んできた。昨年のように金銭度外視で旅行計画を立てられるほど余裕はない。否、まったく余裕はない。そういう中で選択肢がないのは痛い。
 と思っていたら、来週の蓮華寺行きでも、予定外の2次会のお誘いが来てしまった。キャメロンで行く私は、2次会に参加すればもう宿泊するしかない。
 決まったところからスケジュールを確定していくわけだが、予算面からの変更が起きそうだ。
 またメルカリ出品が売れた。純利益60円という最低ラインだが、身辺整理の一環でもあり、感謝である。

7月18日(火)「猛暑日の留守番・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送ったその足(アクア)で、コンビニまで行き、売れたメルカリ品を発送した。
 帰宅してすぐ屋外作業開始・・・と言っても裏の土地ではない。布団干しである(笑)。実は笑い事ではなく、背中をダニに食われた可能性があった。ベッドのシーツとその下のマット、さらにタオルケットから枕まで寝室から運び出し、車庫の上の物干し台にかけた。今日は猛暑予報なので、布団干しには絶好だが、複雑な心境。さらに、ダニ退治用のスプレーをベッドの土台に突き刺して噴霧した。
 裏の土地の草刈りはこの間やっておいてよかった。次回は来週だろう。
 朝食後、歩いて投函に行ってきた。これは運動のためだが、油断すると日射病(昔はこう言った)になりそうだった。
 蓮華寺でおこなわれる忠太郎地蔵尊の供養祭のあとは、長谷川伸没後60周年を記念する忠太郎歌合戦である。それが終わったら帰宅しようと思っていたが、番場史跡顕彰会会長から2次会を誘われた。ホテルが確保できたらという条件付きだったが、運よくホテルを予約できたので、2次会も参加することにした。
 これにより、長女の部屋のエアコン修理予定日の変更が必要になったので、電話して変更した。
 ルーチン、昼食後、リビングでダウンした。今日はサラちゃんと留守番なので、サラちゃんも部屋が涼しくて快適だろう。
 炎天下に出ていたわけでもないのに、ひどく疲労感があり、なかなか気合が入らない。
 5時に干していた布団類を取り込んだ。ダニがいたとしても、どこかへ行ってしまったろう。
 夜は、新しいセミナー企画の相談メールを書いたのと、来月の講演のレジュメ代わりの資料の作成が精いっぱいだった。やれやれ。仕事がはかどらないと落ち込む。そんな中で、またメルカリ出品が売れた。身辺整理が進むのはありがたい。

7月19日(水)「キリギリスの悲哀・・・の風さん」
 天気が不安定なので、晴れているうちにキャメロンで外出。JAとUFJのATMを回ってきた。天気は悪くなってもいつか晴れるが、私の財布はしぼんでいくばかりだ。徐々に緊縮態勢に持って行かないと、やがて破綻してしまう。今さらキリギリスがアリに戻れるわけないし、身から出た錆とはいえ、やれやれ、と出るはため息ばかり。
 歩いて投函に行った。これはゆうパケットポストと言って、売れたメルカリ出品の安価な発送法の一つだ。とりあえず赤字にならないようにしているが、メルカリ出の主目的は身辺整理。捨てる前の土壇場の抵抗といったところか。とはいえ、先の見えない、膨大な仕事量だな。
 ルーチンや雑務を終えたころ、Amazonに発注してあったブースターケーブルが届いた。ふだんキャメロンに入れてあるものが、この間見たら、ケーブルの被覆がボロボロだった。これでは、使用時にショートする恐れがある。なので、すぐに発注しておいた。こういった出費はどこまでも続く。仕方ない。
 月末から来月初めにかけて、やるべき仕事がたくさんある。短い原稿執筆もあり、今日、その一つに着手した。数日かければ完成するだろう。とにかく仕事があるうちはモチベーションが高まる。頑張らねば。

7月20日(木)「旅行計画・・・の風さん」
 体力温存のため、今日もストレッチはパス。
 またメルカリ出品が売れたので、梱包して歩いて投函(やや厚かったので、ゆうパケットポスト)。
 空は晴れていて、東海地方は梅雨明けした。平年より1日遅れだそうだが、今年は長く感じた。梅雨入りが早かったのかな。裏の土地を見ると、もう雑草が伸びている。来週また刈らねばならない。
 ルーチンと雑務後、気になっている今後のスケジュール確定に取り組んだ。来月の秋田往復で利用するホテルを検討した。とんぼ返りとはいえ、一気に行って、一気に帰れるものではない。結局往路1泊、復路2泊にした。重要な条件は、料金が安いことだ。ぜいたく趣味ではないので、リーズナブルなホテルを選択できたと思う。
 よく考えてみたら、秋田へ行く前の、東京の行きの新幹線チケットをまだ確保していなかった。いつものようにこだまのグリーンにしたが、エクスプレスもそのうち値上げになるそうで、やはり料金が気になる。
 日没直前に、ワイフとウォーキングに行った。風が吹いていて、歩きやすかった。週末の蓮華寺行きを日帰りにしてホテルをキャンセルしたと話したら、意外そうな顔をしていた。私が貧乏性であることを、まだ認識できていない。帰宅したらすっかり疲れてしまった。
 来月の講演の準備をするために、かつての類似講演スライドを引っ張り出してみたら、けっこう使えそうだったので、安心した。私という人間の頭の中が、何年たっても本質的に変わっていない証拠だ(頑迷という意味では決してない。フィロソフィーが一貫しているということ、えっへん)。

7月21日(金)「とつぜん浴衣のアイデアが・・・の風さん」
 今日もストレッチはパス。
 ルーチン、雑務、トーストの昼食後、キャメロンで外出。梅雨が明けて、今日も晴天だ。暑い。
 ドラッグストアで薬を1個買ってから、かかりつけのクリニックへ。番号札をもらって、百均とホームセンターへキャメロンで移動。目的の品物を次々に購入して(砂利を買ったので、キャメロンで行ったのだ)、クリニックへ戻った。事前チェックの体温も血圧も正常値だった。体重はダイエット効果で減少していた(もう少し減らしてもいいな)。定期的な診察を受け、薬ももらって家路についた。
 元気なワイフの提案で、日没直前のウォーキングに出発。日中の猛暑の時間帯より明らかに気温が下がっている。風もいくらか心地よい。千葉県の知人のFBでは、猛暑が続いている間に、セミが次々に土中から出て鳴き出し、早、ミンミンゼミからヒグラシになっているらしい。当地のセミはそれほどせっかちでないが、猛暑から秋風を感じるようになると、千葉県では、草地の虫たちも勘違いして鳴き出すかもしれない。
 勘違いではないが、自分の浴衣がどうなっているのか、ワイフに聞いてみた。すぐに出てきた。下駄も団扇もあるが、角帯の結び方を伝授できないと言う。そういうことはYouTubeで学べる。本当の問題は、肝心の浴衣の柄で、これはどこで着るかによって適不適がある。自分が考えている場面に合う柄は、まだ反物状態だった(笑)。
 就寝前に意を決して hairdye を強行した。明後日は蓮華寺へ行く。

7月22日(土)「歌合戦の審査員で浴衣を着ることにした・・・の風さん」
 7時から区の除草作業なので、目覚ましで起床。
 裏の土地の草刈りと同様の完全武装だが、使用する道具は、今回は小さな鍬だ。しゃがんで鎌で刈るのはなかなかつらいので、立ったままできる柄のついた園芸用鍬を使うことにした。
 この新しい道具は正解だった。一緒に作業している知人から「いいね」と言われたが、鍬ではなくて、ネックファンを始めとする全体のファッションが褒められた(笑)。珍妙でも、実用性を重んじたのだが、まさかファッション性を評価されるとは思わなかった。
 除草作業が終わってすぐ、小屋の中から茶箱を引っ張り出した。中に、父の着物類が入っている。明日、蓮華寺で第一回全国番場の忠太郎歌合戦というのがあり、五大路子さんや松岡弘一さんと一緒に審査員をやるので、盛り上げるため、浴衣を着たいと思ったのだ。昨夜、自分の浴衣をワイフに出してもらったが、柄がイマイチだったのだ。茶箱を開けると、中から浴衣が5枚くらい出てきた。その中に、これぞというものがあったので、それを持って行くことを決めた。
 暑い中であれこれと動き回ったので、すっかり疲れてしまい、昼寝した。
 起き出してきて、次の準備、つまり角帯の結び方をYouTubeで勉強した。「貝の口」というオーソドックスな結び方を教える動画が3つあり、実際に何度もやっているうちに、ほぼマスターできた。
 日没前に、キャメロンを洗車した。
 晩御飯のあと、選択した浴衣を着て、角帯を締めてみた。ワイフに見せると「バッチリだ!」と言う。愚かな私はすっかりその気になった。
 明日も早起きしなければならないので、さっさと就寝した……が、昼寝の影響で、なかなか寝付けなかった。

7月23日(日)「蓮華寺往復・・・の風さん」
 昨日と同じ時刻の目覚ましで起床。熟睡できなかったので、今日の運転は気を付けねば。
 ほぼ予定通りの7時過ぎに出発できた。
 時間が早いせいか渋滞もなく、順調に走行できる。片道約110kmで、休憩なしなら2時間くらいで着くが、90kmほど走り、養老SAでピットイン。冷たいお茶を買って、持参のおにぎりを1個食べた。これが朝食。
 名神は米原から長浜の間で渋滞になっていた。その距離は、近づくほど伸びていた。米原ICで降りるとき、その渋滞の最後尾がもう米原ICまで伸びていて、あやうく引っかかるところだった。蓮華寺には9時半ころ着いた。
 午前中は恒例の忠太郎地蔵尊供養祭だ。新型コロナのせいで中断していたので、4年ぶりの開催になる。初参加の新鷹会理事長松岡弘一さんを案内した。午前中は、供養祭に参加してくれた子供たちのための紙芝居が本堂であって、一緒に鑑賞した。
 昼食後、満を持して、私は浴衣に着替えた。控室に戻って「お色直ししました〜」と五大路子さんに言うと、「わあ、ステキな柄!」と声が上がった。番場史跡顕彰会の泉会長にも見せて、喜ばれた。ここまで、今日ここへ来た目的はほぼ達成できたと言える。
 午後は道場の二階で第一回全国番場の忠太郎歌合戦(カラオケ)になった。会場は熱気ではちきれんばかりで、エアコンがフル稼働していても暑かった。休憩時に泉会長が飛び入りで、忠太郎の恰好で歌った。最後には審査委員長の松岡さんも、先月発売になったばかりの自分が作詞した「信州追分政五郎」を歌った。
 新型コロナでカラオケができなかった人たちが多く、思う存分自慢の歌声を響かせた。皆さんお上手で、とても私は一緒に歌えないレベルだった。6人の入賞者へ記念品が贈られた。1位の人は、私も最高点をつけた。
 浴衣を着替えて、私は家路につくことにした。五大さんも新幹線で帰り、松岡さんは2次会のカラオケに向かった。来年も第二回歌合戦が開催されるといいなと思った。
 日が高いうちに元来た道を逆に走り出したわけだが、疲労がたまっていると思い、ゆっくり走った。また養老SAに寄って、今日最初のコーヒーを1杯飲んだ。
 帰宅したら、実家へ行っていたワイフも帰った直後で、父の遺品の浴衣が五大さんに大ウケだったこと、帯もちゃんと結べたことを報告した。
 明日も寝坊ができないので、少し早めに就寝した。

7月24日(月)「朝から深夜まで・・・の風さん」
 予定通り9時に大阪の大学の先生から電話がかかってきた。町人天文学者間重富について調べておられるとのことで、私にも情報を求めてきたのだ。
 私は学者ではないので量は多いかもしれないが、雑駁な知識とデータを保有している。それらをできるだけ(種類という点で)多く提供してみて、先生に必要と思われたらより詳しくお話していくという形で進めた。
 私自身も惚れ込んでいる間重富なので、その重富を高く評価しておられる先生の出現は、うれしくて仕方なかった。
 また、後日、こういった交流があると思う。
 今日は、2冊の本を送るため、スマートレターを2通用意して、歩いて投函してきた。すっかり夏本番で連日暑いが、それでも当地の日中の最高気温は名古屋より2〜3度低い。ありがたいことだ。しかし、自然環境の優れた当地は人口は流出し、首都圏は人口が集中する。皮肉なことだ。
 午後は冷房の効いた階下で過ごすようにした。その間に、気になっていた物入れのすぐ落下するLEDライトの設置状況を改善した。土台を接着ではなくタッピングスクリューで固定したので、もう大丈夫だ。
 夜は、取り組んでいる2つの短い原稿の執筆をした。来月初めに締め切りがくるエッセイ原稿は、月末までに提出しようと思う。
 久しぶりに夜が明ける直前に就寝した。やはり私は夜型だ(笑)。

7月25日(火)「徐々に日常へ・・・の風さん」
 いつもの寝坊(遅起き)。あとでダウンしてもいいので、ストレッチを復活させた。
 ブランチのトーストを食べてから、キャメロンで外出。ドラッグストアでまとめ買いをしたが、一つ買い物を忘れた。メモを持参しないとこれだから、認知症が始まっているのかもしれない。
 日常に戻るため、ルーチンのあと、階下でフローリングに寝転んで読書。今年通算32冊目まで読了。
 昨日は久しぶりにフェイスブックに投稿したので、今日はツイッターにも。ツイッターのロゴがニュース通りに「X」になっていた。「X」なんて怪しいじゃん。
 明日、長女の部屋のエアコンの修理があるので、ワイフが部屋を片付けた。たぶん冷媒の充填で終わるような気がする。部品交換があると費用がかさむな。
 数日かけて執筆していた、平岩弓枝先生追悼文の推敲を終えた。「大衆文芸」事務局へ送付したが、幽霊会員みたいな状態なので、特集号に掲載してもらうのはちょっと気が引ける。
 もう一つ執筆中のエッセイは短い。今夜でほぼ完成したが、明日もう一度チェックして、担当者へ送るつもりだ。
 今夜はもう一つ仕事をしたかったが、体力不足と明日も早起きなので、少し早めに閉店にした。

7月26日(水)「エアコン交換でため息・・・の風さん」
 日本列島は連日猛暑が続いている。ここは日中の最高気温が名古屋より2〜3度低いので助かるが、今日は名古屋の予想最高気温が38度なので、3度低くてもここは35度になる。子供時代は秋田で過ごした。配られた『夏休みの友』には日々の最高気温を書く欄があったような気がするが(記憶は定かでない)、8月でも30度を超える日は数えるほどしかなかったと思う。
 ルーチンや雑務を終えた夕方、エアコンの修理業者が来てくれた。書斎のエアコンの修理業者とはメーカーが違うが、やることは同じだった。そして、冷えない原因も同じだった。本体の熱交換器付近からの冷媒漏れである。その悪さ程度は書斎よりもひどく、冷媒を補充してくれたが、1か月くらいしかもたないだろうという。既に9年が経過しているエアコンなので、早急に新品と交換することにした(書斎の方は来年交換の予定)。
 まちの電気屋さんを呼んだ。交換する機種の候補をいくつか決め、工事が早くできる方を発注してもらうことにした。現役時代ならまだ先があるので、こういった修理や交換は積極的におこなえるが、定年後、年金生活となると、ため息が出る。
 夜、エッセイ原稿の最後の仕上げをした。送付したら、すぐに応答があった。受理してもらえたので、ひと安心。
 まだまだやることがたくさんあるが、今夜はここで閉店にした。

7月27日(木)「名古屋往復で消耗・・・の風さん」
 またまた辻真先先生の新刊が送られてきた。読む方が追い付かない。それだけで、自分の力のなさを恥じてしまう。何とも情けないことだが、現実から目を背けてはいけない。前を向いて、一歩ずつでも、三歩前進二歩後退でも、とにかく頑張るしかない。
 今日も暑い。体力温存のため、ストレッチは適当に流した。
 今日はかかりつけの眼科へ行く日だった。体力温存のため、キャメロンで行くことにしていた。
 しかし、出発が30分遅れてしまった。止むを得ず途中は有料道路を利用することにした。ナビの表示では、到着予想時刻がぐんと早まったが、名古屋市内の一般道に入ったとたん、交通量が多く、時間がどんどん経過していった。目的の安価なコインパーキングには駐車できたが、病院に着いたのは指定時刻の30分後だった。つまり、途中、有料道路を使っても、出発の30分遅れは挽回できなかったのだ。
 結果として1時間以上待たされた。せっかく予約して来ても、タイムロスである。検査の結果は良かったので、次は3か月後となったが、待っているだけで疲れた。
 コインパーキングは2時間以内で400円だった。安! この穴場みたいなコインパーキングは、ビルの谷間にあり、4台しか駐車できない。30分100円なので、満車状態でも、1時間の売り上げは800円にしかならない。管理人がいたら、時給として800円も支払えない。計算してみると、恐ろしいことだ。
 帰宅したのは午後8時過ぎだった。
 夜はもう何もできない状態で、早々と閉店にした。

7月28日(金)「綱渡りは続く・・・の風さん」
 今日も暑い。やることも多い。ストレッチは少しだけ。朝食はトーストのみ。
 気合を入れてキャメロンで外出。JPでレターパックライトとスマートレターを購入し、お土産を買いに酒蔵へ。そこからGSへ行き、来週の秋田行きのため、満タン給油しておいた。
 昼食は卵かけご飯。秋田から帰ってくるまでできない草刈りに出動した。とうぜん完全武装でスタートし、バッテリー1個半で終わるかと思いつつ、順調に作業は進んだが、あともう少しというところで、草刈り機が不調になった。同じ機種の3台目なので、直感で分かった。モーターが焼き付いたのだ。過熱しただけでなく、どこかで焼き付いて、パワーがダウンし、情けない回転しかしなくなった。猛暑の中では、もっとやさしく扱うべきだったのだろう。明日、常温で復調しなければ、早急に発注しなければならない。エアコンといい、予定外の出費で私は痛めつけられている(^_^;)。
 11月に予定している講演のタイトルと内容について、事務局へ伝えなければならない。今回の講演については、特に事務局から内容について希望があった。それに応えられるか、当初不安があったが、よく考えてみると、面白い切り口が設定できそうだった。私の思考は書きながらが特徴なので、PCの画面に文字や文章が並んでいくにつれて、着眼と構想が論理的に整合し、事務局への回答が出来上がった(^_^)。
 来週の講演スライドの作成にはまだ着手できていない。その前にやっておくことがあった。
 スマートレター2通を完成させたところで、今夜も閉店にした。

7月29日(土)「屋外作業は一段落・・・の風さん」
 月例のミッションを先行で片付けながら、必死で前進している。
 昨日送った11月の講演概要が何とか受け入れてもらえてホッとした。次は来週の講演だが、その前にやることはまだある。
 トーストの朝食を済ませて、徒歩で投函に行った。スマートレター2通。こういったことは、先にやっておかないと、一気に再来週まで伸びてしまう。
 帰宅してすぐ鏡と排水パイプの掃除。続けて、レンジフードの掃除に取り掛かった。いつもより早い掃除だったので、汚れは比較的少なかった。廊下の天井の染み取りもおこなった。
 納豆ご飯で昼食にした後は、屋外作業だ。電動草刈り機を動かしてみたが、モーターのパワーが出ない。続けて、裏の土地の外周に除草剤を散布した。葉っぱから入って根を枯らすタイプだ。昨今騒がれている某中古車屋が店舗前で散布したのと同じタイプだろうか。ボトル1本を薄めて、3回に分けて散布した。これで屋外作業は、秋田から帰るまで中断する。
 2階の洗面所の小窓の掃除もした。大きく開かないようにストッパーも設置した(サラちゃん対策)。
 ルーチンと雑務をしている間に、長女が面白い交通手段で帰って来たので、迎えに行った。面白いというのは、車内アナウンスが猫みたいな喋り方の無料バスなのである。アナウンスは最後に必ず「・・・にやん」となる(笑)。
 晩御飯は家族3人で近くのうどん屋へ行った。ここはコロナのひどい時期でも客が入っていた。値上げラッシュの今でも安価である。頑張っているのだろう。
 帰宅したら、ラグビーの中継をやっていた。花園ラグビー場も満員だ。秋田の友人は花火大会へ行くとメールに書いていた。どこでも日常を求めて人が動き出している。第九波らしいが、あまりひどくならずに過ぎてほしい。
 今夜もすっかり疲れてしまい、最後の力を振り絞って、2階でせっせと物の移動を繰り返した。
 少し早めに閉店。

7月30日(日)「家族の不安・・・の風さん」
 ワイフと長女は、実家へ慰問に行った。サラちゃんと留守番の私は、今日も遅れを挽回すべく奮闘するしかない。
 来週から上京と秋田行きがあるので、また hairdye を強行した。続けて、サンスベリアに肥料と水を与えた(月2回のうちの1回で、1日前倒し)。そして、月例の一つ、3台の空気清浄機の掃除をした。月例の残りは、明日カレンダーの更新だけが残っている。ふぅ〜っと大きくため息。
 屋内に置いてある電動草刈り機を、しつこくまた動かしてみたが、本来のパワーが出ない。新しいやつを発注するしかないのだが、私が在宅の時に届くようにしたい。そのため、発注のタイミングをはかっている。
 現在のピンチは気合だけでは乗り切れないので、毎日、いちおう3食摂るようにしている。今日も、朝はトースト、昼はお好み焼きを食べた。
 2日の講演スライドの作成に、ようやく取り掛かった。完成させて事前に事務局へ送っておくのが基本だ。だから、ギリギリに完成ではいけない。1日のうちに届いているようにしなければならない。締め切りまでの時間が限られている上に、今回は講演時間も短い。30分である。こうなると作成スライドの枚数が少なくてもすむので、普通なら歓迎だろうが、豊富なデータを保有する私には問題だ。絞り込むのが下手だからだ。
 夕方、重大な連絡がワイフから入った。入院中で、明日が退院予定だったお義父さんの容態が急変したというのだ。病院の診たては脳卒中とのことだが、救急病院のような対応をなぜかしてくれない。本来見舞いができない日曜日だが、ワイフと長女が病院へかけつけている。
 遅くワイフが帰宅したが、進展がない。CT検査も明日おこなうとのことで、不安が募るばかりだ。
 私はとにかく講演スライドを作成してしまわなければならない。
 何とか全体が整ったのが、午前4時ころで、それからシャワーを浴びて就寝した。
 ワイフは明日も早朝から実家へ駆けつける。

7月31日(月)「万が一の準備・・・の風さん」
 義父の検査は午前中で、主治医から話を聞くのは夕方とのことだった。しかし、病院での義父は既に意識がなく、病状は進展しているという。
 2日の講演資料は今日中に事務局へ送ることになっている。未明にいちおう形は作ったが、30分の講演時間には多過ぎる内容なので、午後から枚数減らしとスライド内の刈り込みを中心にリファイン作業に着手した。
 夕方までにリファイン作業がかなり進んだので、秋田行きの準備(キャメロンで販売用書籍を持って行く)も始めた。一方、実家からの連絡による最悪のシナリオも頭の中で作っていた。
 予定よりも遅くワイフから連絡があり、義父は脳梗塞で万が一の覚悟をしておいてほしいと言われたという。
 それにより、私の最悪のシナリオの第一弾が開始された。
 1日に東京でおこなう予定をメールでキャンセルした。それにともない、上京するための新幹線の予約も変更した。2日の東京はとんぼ返りの予定に変更する(とりあえず)。1日に面会する相手からの了解もとれた。
 万が一義父が亡くなった場合、葬儀の準備から実際の通夜、本葬まで数日にわたる。だから4泊5日の秋田行きは、機敏な予定変更はできないので、断念するしかない。すぐ同級生に電話して、事情を説明した。お互いに残念だが、仕方ない。
 以上の手が打てたところで、5泊分のホテルをキャンセルした。1件はキャンセル料が発生するだろう。
 ワイフが帰宅して、詳しい説明を聞いた。驚いたことは、今回の病状変化が急であったにもかかわらず、今日は義母と姉妹(姉は私のワイフ)の3人で、お寺へ行って相談し、近場の葬儀屋も選定し、候補の一つは見学もできて見積もりももらったという。
 自分の両親のときは、兄夫婦がすべて準備を進め、私たち家族は駆けつけて参列するだけだった。今回は、家族構成からいって、私も大いに関与しなければならないと覚悟していただけに、この行動には驚くばかりだった。
 晩御飯後、今日作成した講演スライドの最終チェックをし、メール添付で事務局へ送った。


2023年8月はここ

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